※この記事は、2022年6月10日に掲載された「モロオフ会」の記事より一部転載しています。
おはようございます。
おはようございます。
さて。
今日は『「強者の論理」を否定する人』というテーマでお話ししたいと思います。
この話をする前に、色々と踏まえておかなきゃいけない前提がるので、先に、そちらをお話しします。
たとえば「会社」みたいな組織って、新しく入ってくるスタッフのパフォーマンス力が不確かであるし、優秀なスタッフが抜けてしまう場合もありますよね?
結構、人材が流動的だったりするのですが、その調子で人材が出たり入ったりする度に、会社のバランスが崩れてしまってはいけないので「会社」というのは(基本的には)どういう人材が集まろうと、一定のクオリティーが保たれるような建て付けになっているんですね。
キチンと体系化したマニュアルがあって、そのマニュアルに従えば、20点の人でも、60点は出せるようになっている。
なので、「会社」というものを運営している人間が、「お前は努力が足りないから、結果が出ないんだ」といった感じで、強者の論理を振りかざすのは、自分自身を否定することになっちゃうわけです。
努力できない人でも、ある程度の結果が出せるマニュアルを組むことが会社の仕事なので。
その仕事を放棄していることになる。
なので、この立場における強者の論理は、基本的には、成立しないと僕は思っています。
公立の学校なんかも、なんとなくそんな感じですよね。
「みんなで同じことを、同じペースで」が基準になっています。
ぶっちゃけ、これに苦しんでいる子っているんですね。
その子の一部は「ギフテッド」と呼ばれる、いわゆる「先天的に高い知性を持った子」です。
そういう子からすると、「みんなと同じことを、同じペースで」で進められる学校は本当に苦しいんですね。
「コミュニケーションをサボっている」とか「同世代の友達を見下している」とかそういうことじゃなくて、「同じ日本語を使っているのに言葉が伝わらない」というのって、本当にツライんです。
ただ、その子に「今、何に興味を持って、どんな勉強をしてるの?」と聞いたら、メチャクチャ面白いんです。
僕が知らないこともたくさん知ってるんです。
だけど、学校というのは、そういう子達は切り捨てて、「みんな同じ」で進められる。
要するに、犠牲を生んでまでも、「落ちこぼれ」が生まれないようにしている。
どんな子でも平均点が出せるように体系化しているわけですね。
なので、その学校を運営する人や、先生が、「努力が足りないから、お前はダメなんだ」と弱い子を切り捨ててしまうのは、辻褄が合ってないと思うんです。
「それを掬うのがお前の仕事だろ」と。
今日、お話しするのは、以上のようなケースを除いた場合についてです。
(続きはこちらから【モロオフ会】】)