2024.5.7
諸江史耶
モロ先生の授業「AIを導入した音楽教育」

(※今日の記事を音声で楽しみたい方はコチラ↓)

https://stand.fm/episodes/663965f56598320effff4dee

現時点でのAIの限界

最近はピアノ講師らしくない内容が続いていたので、今日はピアノ教育ど真ん中のお話をしたいと思います。

2年前にAIの爆伸びを見た時に、これからのピアノ教育(及びエンタメ全般)のあり方を考え直さないといけないなあと思い、色々と試行錯誤を繰り返してきました。

まずはAIに慣れようと思って、あれやこれやとAIを活用したアプリやソフトを、レッスンの中に導入もしました。

例えば『PlayScore2

これを使えば、AIがすべての楽曲を演奏してくれるので「先生のお手本演奏」なんてものは必要なくなりました。

・・・のはずだったのですが、このアプリを紹介した後も、僕は多くの人に「先生ここ弾いて」とお願いされています。

ここに少し「現時点でのAIの限界」を見たわけですが、それでも僕にお手本演奏をお願いする生徒さんの多くは「なんか違うから」と伝えてくれます。

この「なんか」が、まだ現時点でのAIが埋め切れていないもので、簡単に言えば「表現」ですね。

AIの演奏をきくと、人の演奏の魅力がよりわかるようになる

では、この「表現」というものをもう少し具体的に説明すると、正直言語化するのが極めて難しいのですが、LEDライトよりも、ロウソクの火に吸い寄せられるように、どうやら僕らは完璧なものはあまり求めていなくて、「不完全」に惚れている…というか、多分、「完璧」というのは実は量産が可能で、「不完全」は刹那的で、その瞬間にしか顔を出さないから、僕らはそれを面白がっている。

そして、それこそがAIの苦手分野であることが分かりました。

人が演奏をすれば、そりゃ多少の強弱やテンポの違いは起きてしまうし、時々間違えてしまうこともある。

でも、その揺らぎに価値があったりするんですね。
 
もっと言うと、AI時代において「完璧には価値がない」という話で、少し前に「AIは才能の民主化だ」みたいな論調があったのですが、たぶん皆、勘違いしているのが「才能」というのは能力ではなくて「希少性」なんですね。

つまり、皆が100メートルを9秒で走れてしまったら、ウサインボルトは凡才に成り下がるわけで、繰り返しますが「才能」というのは「希少性」なんです。

ピアノ演奏における「独特の癖」に、代替不可な「個人」が出てくる。

それもこれも、AIが完璧を見せてくれたから、我々は気づくことができたわけですね。

AIが完璧を当たり前にしてくれたから、僕らは個人をより強くPRすることができるようになった、と。

だから現在の僕のレッスンでは、AIを「完璧はこうだよ。さあ、あなたはどうする?」みたいなお手本教材として使ったり、あとは練習を楽しませてくれる仕掛けがたくさんあるので、そういったところに部分的に導入したりしつつ、やっぱり僕がいないと始まらないよねーみたいに行っています。

ナルシスト締めでございました。

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