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ここ数年、舞台や映像を観たあとの感想で、ある共通点が目立つようになってきました。
作品の質とは別に、「体験として重たかった」「途中で集中力が落ちた」という声が、明らかに増えているのです。
内容は面白い。演出も魅力的。役者も素晴らしい。
それでもなお、どこかで“満腹感”を超えてしまう瞬間がある。
これは、観る側の感受性が鈍くなったわけではありません。
むしろ逆で、日常の情報量や選択肢が増えたことで、一つの体験に割けるエネルギーが以前よりもシビアに配分されるようになった、という変化だと思っています。
▼観客の感覚は進化している
本当のプロの作り手はみんな「自分が観客の立場ならどう感じるか」をとても正確にわかっている印象があります。
一方で、多くのクリエイターは制作側に回った瞬間、その感覚がどこかに置き去りにされてしまう。
「ここは削れない」
「これも伝えないと成立しない」
そうやって積み上げた結果、全体の密度よりも、分量そのものが前に出てしまうケースは少なくありません。
これはエンタメに限った話ではなく、企画書やプレゼン、クラウドファンディングの文章でもよく見かけます。
他人の長文には疲れるのに、自分のものになると不思議と足し算をやめられなくなる。
プロの現場でも、同じ現象は確実に起きています。
▼判断基準は「例外」ではなく「多数」
時々、「長時間でも大ヒットした作品がある」という反論が出ます。
確かに、圧倒的な支持を得た長編作品は存在します。
ただ、それらは再現性を測る材料にはなりません。
特異な条件が重なって生まれた成功例を基準にすると、現実的な判断はどうしてもズレてしまいます。
見るべきなのは、派手な成功談ではなく、多くの人が何気なく口にしている感想の蓄積です。
そこには、今の時代の“標準的な体験許容量”がはっきり表れています。
▼「短い」=「軽い」ではない
時間を抑えることは、妥協ではありません。
むしろ、構成力と覚悟が問われる選択です。
限られた時間の中で、何を残し、何を手放すか。
それを徹底的に考え抜いた作品ほど、体験後の余韻は深く残ります。
「この長さなら足を運べる」
そう思ってもらえる設計は、今や強力な武器になります。
▼これから作る側に立つ人へ
これから何かを発表する人にとって、これは大きなチャンスでもあります。
多くの作品が“盛りすぎ”によって距離を生んでいる今、
最初から「詰め込みません」と宣言できるだけで、立ち位置は明確になる。
体験の価値は、時間の総量ではなく、集中が続くかどうかで決まります。
だからこそ、「どれだけ長くても、ここまで」という自分なりの上限を持つことは、とても健全な戦略だと思うのです。
これからも僕は、派手な成功例よりも、静かに集まり続ける“普通の声”を信じて、作品のサイズを決めていきたいと思っています。
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