2023.3.16
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モロ先生の授業「討論するな。議論をしろ」

(※今日の記事を音声で楽しみたい方はコチラ↓)

https://stand.fm/episodes/64125e537645d9cf3fe58c43

「議論」と「討論」は目的が違う

この「議論と討論は何が違うのか?」というところなんですけども、『目的』が違うんですね。
 
議論の目的は「最良の結論を出すこと」で、
討論の目的は「勝敗をつけること」です。
 
要するに、「協力して、何かを作る」か、「相手を打ち負かして、何も作らない」か。
 
自分の時間は有限ですから、僕は、この、時間をかけて何も生み出さない「討論」ほど不毛なものはないと思っていて……昔から言っていますが、相手を打ち負かすことで徳をするのって、本当に、ひろゆきサンぐらいで、ひろゆきサンはエンタメ(仕事)になっているのでイイと思うのですが、それ以外の「論破に燃える人」は、ちょっと怖いんです。
 
 
ちなみにウチのチームは、教室とかスタジオとかライブとかイベントとかコミュニティとかを作っていたりして、そこから派生するビジネスを進めていたりするんですけども、何かを「作る」チームなので、当然、「論破」にロマンを感じる人って、一番要らなかったりします。

僕らがやらなきゃいけないのは、相手を打ち負かして悦に入ることではなくて、相手と協力して、作ることなので。
 
なので、僕らがするのは「討論」ではなくて、絶対に「議論」なんですね。
 
そして「議論」に関しては、本当に毎日やっています。

「議論の討論化」を防ぐには人格を切り離す必要がある

で、今日は、この「議論」と「討論」について、もう少しお話ししたいんですけども、僕らのチームに限らず、おそらく多くの人、多くの会社がやらなきゃいけないのは、「討論」じゃなくて、「議論」だと思うんですね。
 
広告費以外で生きる以上、基本的にこの世界は何かを生産しないと、生きていけないので。
 
ただ、気をつけなきゃいけないのは、そうは言っても、会議を繰り返していると「議論」が「討論」になっちゃう時ってあるんですね。
 
協力して最良の答えを導き出すつもりで始めたのに、いつからか相手を口で言い負かすことが目的になることって、普通にあるんです。
 
僕の場合でいうと、昔の話ですが、大学時代ピアノと楽器のアンサンブルなんかがそうでした。
ずっと一緒にいると、そうなりがちなんです。
 
それは何故かというと、「議論」の中に「人格」を入れてしまっているからなんですね。

僕はアンサンブルのピアノパートを任されたときに「アンサンブルの練習」にはしっかり付き合いますが、「個人の練習」には付き合えないので、個人の能力が原因で上手くいかない部分を練習されてしまうと「いやいや、そこは個人で頑張ってよ」と普通に言ってたんですね。

その結果、とあるソリストからものすごく嫌われてしまい、裏で無茶苦茶な悪口を言われまくる日々が始まります。

それでも僕はその方とのアンサンブルは約束してしまっているので、その曲を練習するわけですが、僕がその曲を練習している間も「悪口言われてるんだもんなあ」とどうしても演奏に人格が入ってしまっていたことをはっきりと覚えています。

でも、「良いアンサンブルをする」ということを目的とするのであれば、その気持ちって邪魔ですよね。
 
でも、どうしても、その背景に納得がいかない自分がいる。
その結果、「議論」が「討論」になっちゃうんです。
 
パッと振った時に、パッと返せないソリストに対して、「俺が練習している間、悪口なんか言ってるからだよ」と思ったりしちゃう。
 
人格を混ぜ込んでしまうんですね。
 
でも、そういうことって、皆さんもあるでしょ(笑)?
 
結論、「議論」をしようと思ったら、あるいは、「議論の討論化」を防ごうと思ったら、人格を切り離さなきゃいけないんです。
 
これがメチャクチャ大事。
 
議論を始める前に、チームでまず話し合わなきゃいけないのは、「どうすれば人格を切り離して、話を進められるか?」というルール決めですね。
ここを決めておかないと、討論になっちゃう。
 
これはチームによって、やり方が変わってくるので、一度、探ってみてください。

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