2022.9.15
ニュース
モロ先生の授業『モチベーションについて』

お金をいただいている以上、「モチベーション」なんて持ち込むな

 
昔、イチロー選手が、ある記者から「なぜそこまで自己管理を徹底できるのか?」と問われた時に、「僕、いくら貰ってると思いますか?」と答えたのですが、もう、この言葉に尽きるんです。
 
「お金をいただいている以上、『モチベーション』なんて持ち込むな」だし、「『モチベーション』を持ち込むのなら、お金をいただくな」です。
 
ちなみに僕は1日も休んでいません。
 
お金をいただいているし、期待を背負っているので。
 
そんなことを言うと、「ハートが強いんですね」みたいな話になっちゃうと思うのですが、たぶん、これ、「ハートの強さ」じゃなくて、「自我と人生の切り分け」だと思うんです。
 
矢沢永吉さんの有名な言葉で、「俺はイイけど、矢沢はどう思うかな?」というのがあるのですが、これなんて「自我と人生の切り分け」の典型的な例で、彼の中には自我である「俺」と、人生である「矢沢」がいるんですね。
 
おそらくイチロー選手も、「『僕なら』ではなくて、『イチローなら』、ここで、どう立ち振る舞うか?」という考えだと思います。
 
自我である「僕」と、人生である「イチロー」がいる。
 
もっと言えば、演出家である「僕」と、キャストである「イチロー」が同居している。
 
 
一方で、「自我と人生を切り分けられない人」…つまり、主語が「俺」とか「私」とか「僕」になっている人って、仕事にムラがあるんですね。
 
「俺の気持ちがのらないので、休む」という判断をしちゃうので。
 
 

全ての判断を「諸江なら、どうするかな?」にするとクリアになる

 
仕事って、雨の日も、風の日も、健やかなる日も、病める日も、コンスタントに打ち続けなきゃいけないわけじゃないですか?
 
そんなものに対して「モチベーション」なんて持ち込んじゃダメだし、でも、「いついかなる時もヤル気を出していけ!」というのも、ちょっとマッチョすぎると思うんですね。
 
ということを踏まえて、「自我と人生を切り分ける」という考えにしてしまうとクリアになると思います。
 
主語を「僕」ではなく、「諸江」にしてしまう。
 
そうやって別人格を作ってしまって、全ての判断を「諸江なら、どうするかな?」にする。
 
僕は仕事柄もありますが、基本この感じです。
 
「ジョイ諸江なら、ここで、これを仕掛けるでしょ」とか、「ジョイ諸江なら、この問題には口を挟まないでしょ」とか。
 
たとえば、ジョイ諸江が急に、タレントの不倫に対して、一言二言物申していたら変じゃないですか?
 
一方で、じゃあ、「NFT」というものが世の中に出回り始めた時に、ジョイ諸江なら、「よく分からんから、やらない」とは言わないじゃないですか。
 
 
そういう感じで、自我と人生を切り分けて判断していくと…つまり、「僕」ではなくて、「諸江ならどうするか?」という判断を癖づけてしまうと、『モチベーション』なんて言葉は、メンヘラの寝言に成り下がるので、オススメです。
 
アイドルが自分のことを「名前」で呼ぶじゃないですか?
 
あれです。あれ。
 
一度、アイドルに習って、(心の中でいいので)自分のことを名前で呼んでみてください。
仕事に活きてくると思います。
 

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