2025.12.23
諸江史耶
モロ先生の授業「MVは『観るもの』ではなく、『託されるもの』になる」

(※今日の記事を音声で楽しみたい方はコチラ↓)
https://stand.fm/episodes/6949d54c213c3d72b35b9fc0

MV制作を続けていると、映像そのものの完成度以上に、「誰が、どんな覚悟で作っているのか」を見られている場面が増えてきた。

再生数や拡散力だけを考えれば、刺激の強い表現や分かりやすい仕掛けに寄せる方が早い。
けれど、それを選ばないという決断を、意識的に重ねてきた。

理由は単純で、長く残るものを作りたいからだ。

MVは、本人が何度も見返すだけでなく、
「この曲、この演奏、いいから観てみて」と誰かに手渡されることがある。
ときには、年齢も立場も違う相手に向けて共有される。

そのときに必要なのは、驚きよりも安心だ。
一瞬の強さより、「これなら勧められる」という感覚。

だから僕は、映像表現においても、
過度な刺激や安易な話題性に頼らない選択をしてきた。
それは創作として楽な道ではないし、使えば一気に物語が転がる装置を、あえて封印する行為でもある。

ただ、その積み重ねがあるからこそ、
「この人のMVなら大丈夫」という空気が、少しずつ生まれてくると信じている。

そもそも僕は今回のMVを「自分の作品」としてではなく、
「誰かに届けるためのもの」として扱うつもりで作っている。

そして見た人が、また誰かに見せたいと思ってもらえる作品にしたいと思っている。

この構図が成立するのは、
映像の内容以上に、作り手の信頼関係が必要。

その信頼があると、応援の形も変わってくる。

MVは、音楽と映像の作品であると同時に、
人と人をつなぐ媒介にもなり得る。

派手な売り方や、短期的な数字の追いかけ方では、
この形にはたどり着けない。

これまでどんな表現を選び、
どんな表現を選ばなかったのか。
その履歴すべてが、今の届け方を決めている。

MVの価値は、完成した瞬間に決まるのではない。
どんな姿勢で作られてきたかによって、
「誰に、どんな形で託されるか」が決まる。

この感覚を、これからの制作でも失わずにいたい。

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