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「批判」は自分の首を絞めることになる
今日は「批判をする前に知っておいた方がいいこと」というテーマでお話ししたいと思います。
もともと経済の状況がよろしく無かったところに、コロナが直撃して、さらには長引いてしまっているので、今、ポジティブな状況にある人って、あまりいないと思うんですね。
皆、明らかに異常なストレスを抱えている。
で、ストレスのハケ口を求めている。
それというのは、目先のアクセス数を稼ぎたいメディアの格好の餌食で、多くのメディアが「ヘイトが集まるニュース」を作るんですね。
道徳的な話をすると、「どうなんだ?」というところですし、僕はその類のお仕事には一切関与しませんが、メディアの人達も食っていかなきゃいけないので、「視聴率」や「アクセス数」や「部数」が稼ぎやすいネタに流れてしまうのも仕方ないのかなぁと思っています。
「賛成はできないけど、理解はできる」といったところです。
で、このヘイト集めニュースにまんまと乗せられてしまって、批判の声を上げる人がたくさんいるんですけど、ここは本当に気をつけた方がいい…というか、メディアに煽られて、何かを批判するのは勝手にすりゃいいんだけど、まんまと煽られて何かを批判してしまった際の「罰」を誰が受けることになるのか?は知っておいた方がいいのかなぁと思います。
たとえば、僕もこれまで山ほど見てきましたし、たぶん、僕のことを昔から応援してくださっている方もチョコチョコ見てきた光景だと思うのですが、僕は昔から、やることなすこと批判されてきたんですね。
当然、その中には僕が間違っていたこと、つまり正当性のある批判もあったと思うのですが、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」というヤツで、批判の中には、「いやいや、それは、冷静になってよくよく考えてみてよ」というのもあった。
僕は、よく「批判するのは構わないけど、知らないものを批判しちゃダメだよ」と言うのですが、それというのは「自分の知らないものが正しかった場合、自分の首を絞めてしまうから」であるからなんですけども、それでも煽られて、感情に任せて批判してしまった人というのは、その罰は受けなきゃいけない。
「批判」は自分の大切な人の選択肢までも奪う
ただ、ここで言いたいのは、罰を受けるのが自分だけだったらいいんですよ。
そこは因果応報なので。
でも、見落としちゃいけないのは、実際問題、自分が知らないものを大声で批判した際に、その罰を受けるのは、批判の声をあげた本人だけじゃなくて、その周りにいる人も含んでいるんですね。
たとえば、このブログをみてくださっているあなたと僕が相互フォローする関係にあって、僕が今、「NFTなんて、詐欺だ〜!宗教だ〜!」みたいなことを大声で発信しちゃったら、あなたは、NFTに手をつけにくくなりますね?
相互フォローしている諸江が大声で批判しているものを、正面切って始めるのは、なかなか厳しい。
無知が引き金となっている批判によって、諸江が時代に乗り遅れるのはしょうがないとして、あなたが乗り遅れるのは違うじゃないですか?
だけども、この罰というのは、諸江の半径数メートルにいる人達、全員で受けなきゃいけないんです。
「さして勉強もせず、メディアにまんまと煽られて、ただただ感情に任せて、何かを批判する場合、その罰を受けるのはオマエだけじゃないぞ」という。
「オマエの無知によって、オマエのまわりにいる人の生活を苦しめることになるぞ」という。
おそらく、感情に任せて批判してしまっている人は、自分と批判対象しか見ていなくて、自分のことを支持してくれている人達を殴っている自覚がないと思うのですが、「加害者」になっている自覚がないと思うのですが、自分の人生の選択肢を失うのはまだしも、自分が大切にしている人の選択肢まで奪ってしまっていいのか?
何かを批判する場合は、そこの自問自答をしてからでも、遅くないのかなぁと思います。
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